鬱な時は、アインシュタインの言葉が効果的
この記事は管理人の別ブログ「Ein's Cafe」にアップした内容になります。
「アルベルト・アインシュタイン」と言えば、誰しもが知っている天才物理学者として有名な偉人ですが、彼の凄さは物理学分野ではなく、社会に適用できずにいた潰されかけていた僕を救った一人でもあったことです。なので、敬意を表する意味として、最愛の娘に彼の名前の一部に彼の名前を入れることにしたわけでもあります。
ちなみに、僕を救ってくれた(影響力があった)人は…
- ブッタ
- イエスキリスト
- 孔子を含む「諸子百家」の一部の人達
- アインシュタインと数人の哲学者たち
- 妻、そして娘
ざっと10人くらいはいますね(笑)。
置かれている立場や個人の性格にもよりましょうが、僕の人生においては大いに役に立ったアルベルト・アインシュタインの言葉をいくつか紹介しようかと思います。
◆自分自身の目で見、
自分自身の心で感じる人は、とても少ない。
この前のテレビ番組「3年A組」でも同じようなことを感じましたが、青少年だけでなく大人までもが、深く知ろうもせずに、ネットや報道された一部の事実で踊らされている滑稽な世の中を風刺していました。多数の意見は悪意もないまま悪為をはたらけせて、少数の意見を無慈悲にいたぶり、殺します。
◆どうして自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだから
いいじゃないですか。
外部からいたぶられると他人にせいにして悔やんでいても、不毛な戦いの人生で疲弊するのも、そして、いつか戦いに疲れて結局自分のせいにして心の中に閉じこもるのも、どちらも『損』するだけじゃありませんか。他人のせいにするのも、自分のせいにするのも、やめときがあります。
◆疑いもせずに「権力」を重んじることは、
真実をもっとも遠ざける行為だ。
権威や権力の言う言葉を鵜呑みにするのは簡単ですが、自分で考えましょう。
◆この世に存在する困難に直面し、それを理解しようとしたとき、
自分の知能が全くもって役に立たないということに気づく。
人は、それを理解できる程度の知能しか持ち合わせていないのだ。
自分の悩みを家族や先生を含む他人に説明しても理解してもらえない時とか、自分にどんなに良い解決策があるにしてもそれすらも理解してもらえない時とか、もどかしいですよね。人生ってそんなもんですよね。周りと無理にあわせようとしても無理があります。
◆ナショナリズムとは幼児病で、言わば、人類が患う"はしか"のようなものだ。
ぷはははぁ!彼は預言者ですか。誰かさんのことを言っているようです。今の時代にびったりの言葉だ( ^ω^)・・・
◆教育の目的は、「社会が直面する最重要課題の解決」に力を尽くすために、
自ら考え行動できる人間を育てることでなければならない。
まさしくそうですね。しかし、この社会で最重要課題の解決に尽力するためにも、最重要とはかけ離れた課題に取り組まない(権威や権力を得ない)と、理解ところが、誰も聞いてくれないし、多数という絶対的な力も得られないのが現実。
◆ほとんどの教師が、生徒に知らないことを発見させようと質問ばかりして、時間を無駄にしている。知っていることに気づかせること、知るための方法に気づかせることを目的とするのが、意味のある質問であり、本当の教育だ。
娘を持って始めて実感し始めているこのごろの課題です。
◆幸せ者というのは、現状に十分満足していて、未来についてあれこれ考えたりしない。
そうですね、世界一成功者になるより、世界一幸せ者になろうとしていましたが、娘という新たな幸せが追加されて、その反面、未来についてあれこれ考えねばならなくなり、いろいろと悩みが増えてきているこのごろです。どうしよう。。。
◆問題は、抱えた時と同じ考え方でいる限り、解決しない。
そうだ!そうでした!。。。ね。了解です。
◆成功者ではなく、価値ある人間を目指すべきだ。
価値ですか、、、誰に対する価値ですかね。とりあえず、少なくとも周りにいる大切な人にとって価値ある人になろう。私にそれ以上の器があるのであれば、もう少し頑張ろう。けど、無理はしない!(^^;
◆シンプルに説明できないのなら、それは十分に理解していないということだ。
仰る通りと思います。
◆優れたアイデアを記録したノートを持っているか?と問われれば、
「生涯で持ったノートは1冊しかない」と、答えるしかない。
彼の言う通り、人生を1冊のノートにして常に人生とともに生きます。
◆真の知性とは、知識ではなく想像力だ。
空想や想像は僕の最大の楽しみであり、最大の趣味です。知性かどうかわかりませんが人生が少し楽しくなります。
◆一見して人生には何の意味もない。
しかし一つの意味もないということはあり得ない。
自分の人生に自分の生きる意味を聞いても意味がない!、人生そのものに意味はなく、人生は自ら意味のあるものに書くもんだから。中身のある人生にするか、意味のない内容の人生にするかは自分次第。それこそが人生の唯一の意味である。というの僕の持論。
◆天才とは努力する
凡才のことである。
なるほど、、、天才から言われると頭がさがる。
◆常識とは十八歳までに身につけた
偏見のコレクションのことをいう。
口論するたびに“それって、常識だろう”と叫ぶ偏見の塊のような人に聞かせてやりたい。そして、俺自身はそんな偏見で生きていないのか自分に問いたい。
◆大切なのは、
自問自答し続けることである。
こうやって昔の彼の言葉をならべてみたら、、、結局、言葉そのものがえらいのではなく、その言葉を自分中でえらくするのは自分自身で、別にアインシュタインの言葉でなくても、他人のしょうもない言葉を自分がどのように受け取るか次第で、賢明な助言にもなり、ただのののしりにもなりにて、すべてが自分次第であることでした。
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